検証可能性と古典計算困難性を両立
IBMとシカゴ大学の研究チームが、主要な古典シミュレーション手法の実用的な限界を超えるとする量子計算を行い、計算結果の忠実度に統計的な下限を示したと7月30日に発表した。IBMらは、これにより「量子優位性」の基本条件を満たしたとしている。研究成果は7月28日、査読前論文としてarXivで公開された。
今回の成果では、エラー検出を組み込んだ70論理量子ビットの大規模量子回路上で、主要な古典手法では現実的な時間内のシミュレーションが難しいと研究チームが推定するサンプリング計算を実行した。さらに、計算結果そのものを古典コンピュータで再現せずとも、量子状態の忠実度を統計的に評価する枠組みを示した。
量子コンピュータの性能を示す指標としては、これまで「ランダム回路サンプリング(Random Circuit Sampling:RCS)」が広く用いられてきた。量子コンピュータに古典コンピュータでは効率的に再現できないほど複雑な回路を実行させる手法だが、問題の規模が大きくなるほど計算結果が正しいかどうかを古典コンピュータで検証することが難しくなり、最終的にはハードウェアノイズに関する強い仮定を置かなければ検証が困難になるという課題があった。
今回、IBMとシカゴ大学の研究チームは、RCSに代わる構造化された回路を用いる新たな手法「ドープド・クリフォード・サンプリング(Doped Clifford Sampling:DCS)」を開発した。この手法は、RCSなどと同様の複雑性理論上の仮定のもとで古典計算が困難になる性質を持ちながら、計算中のエラーを検出できることが特徴だという。
シカゴ大学のビル・フェファーマン准教授は、量子優位性の実証における最大の課題は計算結果の検証にあると説明。今回の実験により、ノイズが存在する環境でも複雑な量子状態の忠実度をより正確に評価できるようになったとしている。また、同研究室の博士課程学生ソウミック・ゴーシュ氏は、こうした検証技術の進展は次世代の量子コンピュータの実用化にもつながる可能性があるとコメントしている。
誤り検出で有効ゲートエラー率を約10分の1に
研究チームは、70個のデータ量子ビットと27個のエラー検出用補助量子ビットからなる計97個の物理量子ビットを使用し、70論理量子ビットの計算を時空間符号で符号化した。計算部分では2,415回の2量子ビット演算と468回のTゲートを実行した。IBMは今回の実験を、世界最大級のエラー訂正実証の一つと位置づけている。
回路全体をエラー訂正符号で保護した結果、論理エラー率は物理エラー率のおよそ10分の1まで低減され、大規模な回路でも高い忠実度を維持できたという。
また研究チームは、古典計算が困難とするTゲート入り量子状態について、忠実度が0.284(28.4%)以上であることを95%の信頼水準で示した。
この量子計算では、約16分で2,051件の事後選択後のサンプルを取得した。研究チームは、現時点の主要な古典シミュレーション手法では、同じ計算を現実的な時間内に実行することは困難と推定している。一方、論文では、古典アルゴリズムやハードウェアの進歩によって、この評価が変わる可能性も認めている。
IBM Researchディレクター兼IBMフェローのジェイ・ガンベッタ(Jay Gambetta)氏は、「量子優位性の時代に入った」とコメント。古典コンピュータの実用的な限界を超えるとする量子計算について、統計的な信頼度を伴う忠実度の下限を示したと説明し、今回の成果は研究者や開発者、企業がより大規模な量子アプリケーションを開発するための信頼基盤になるとの見方を示した。
なお、今回実行した回路や実験結果は「Quantum Advantage Tracker」で公開されている。ただし同トラッカーでは、今回の実験を「アクティブ候補」に分類しており、量子優位性の有無を確定するにはさらなるベンチマークが必要としている。
また同日、IBMはエコシステムパートナーとの共同研究成果もあわせて公表した。
イスラエルの量子ソフトウェア企業ケドマ(Qedma)との共同研究では、理化学研究所(RIKEN)やブルークビット(BlueQubit)とも協力し、最大74量子ビットで物理現象をモデル化した実験における量子優位性を報告した。
またイタリア・ミラノに本社を置く量子ソフトウェア企業アルゴリズミック(Algorithmiq)との共同研究では、古典的な検証能力を超える規模の計算に対して、計算結果そのものではなく実行プロセスを検証することで信頼性を評価する量子計算フレームワークを発表している。
なお、今回の70論理量子ビットは、エラーが検出された試行を除外する方式で実現されたもので、大規模な暗号解読に必要な完全な耐障害型量子コンピュータとは異なる。ビットコインの取引署名に用いられるECDSAなどの楕円曲線署名を破るには、ショアのアルゴリズムを大規模な耐障害型量子コンピュータ上で実行する必要がある。2026年の査読前研究では、必要な論理量子ビット数について835〜1,450程度の推計が示されているが、数千万回以上の論理ゲートと大規模なエラー訂正基盤が必要とされている。このため、今回の成果が直ちに暗号資産の暗号技術を脅かすものではない。一方、今回の研究は暗号資産を直接の対象としたものではないものの、長期的には暗号資産業界における耐量子計算機暗号(Post-Quantum Cryptography:PQC)への移行準備を促す材料の一つとなる可能性がある。
参考:発表
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