「Light」開発秘話と事業譲渡の舞台裏。「銀河を真っ二つにする」ために挑戦し続ける日本人起業家の原動力
大学在学中に起業を志し、20歳でシリコンバレーに渡った日本人起業家の柿木駿氏。幾多の失敗を重ねた末に可能性を見出したのは、異なるブロックチェーンをシームレスに統合する「チェーンアブストラクション(チェーン抽象化)」の技術だった。EVM互換チェーンを統合的に扱える開発者向けSDK・インフラ「Light」のローンチ後、Coinbase、 Initialized、Polygon等から累計約80億円を調達したカナダの大手インフラ企業SequenceへLightを事業譲渡へ至った背景には、誰もが使いやすいWeb3を目指す強い信念と未来を切り拓く原動力があった。
今回は、2025年に北米のインフラ企業SequenceへLightを事業譲渡し、次なる目標に向かって歩みを続ける柿木氏に、幼少期を過ごしたシリコンバレーでの原体験から、数々の挫折と挑戦を経てたどりついたLightの開発秘話、事業譲渡の舞台裏に迫っていく。
単身渡米先で出会ったクリプト業界のオープンなカルチャー
── まずは柿木さんの簡単な自己紹介とバックグラウンドを教えてください。
これまで私はシリコンバレーを拠点にWeb3/ブロックチェーンの領域で活動してきました。現在は、クロスチェーン・インフラのプロダクト開発に取り組むSequence社で、Head of Cross-Chainとしてプロダクト全体の戦略と設計を担当しています。2025年4月には、自ら創業したEVMチェーン抽象化レイヤー「Light」を同社に事業譲渡し、統合されました。
私は神奈川県出身で、4歳から10歳までシリコンバレーに住んでいました。中学校1年までいたんですが、その頃通っていた中学校の隣の建物がAppleの本社だったんですよ。ちなみに、今もカバンに初代iPhoneを持ち歩いていて。発売初日に父が買ってきたもので、“お守り”として大切にしています。
日本に帰国後はサッカー、水泳、アメフトなどいろいろなスポーツをやってきましたが、慶應義塾大学法学部の在学中に起業の道を志し、プログラミングを学び始めました。当時、コロナ禍の中でY Combinatorの元パートナー・ダニエル・グロスによるアクセラレータ「Pioneer」の存在を知って。
PioneerはY Combinatorの登竜門のような位置付けで、ここで注目されれば、シリコンバレーの起業家ネットワークに入れると思い、必死に自分のプロダクトを磨いていました。その頃はクリプトではなく、SaaSツールを作っていましたね。
結果的には、地道にプロダクトの改良を重ねたことで、アクセラレーターには採択されたんですが、資金が尽きてしまって。それで日本で新聞配達をしながらお金を貯めていました。
その資金で20歳で単身アメリカに渡ったあとは、人脈もない状態から、現地のハッカソンや開発コミュニティに飛び込み、現地での起業と資金調達に挑戦しました。文化の違いや構造的なギャップを感じながらも、それを乗り越える経験が、今の自分の核になっています。
── クリプトと出会ったのはどのようなきっかけがあったんですか?
当時のイーサリアムのロードマップにあった「シャーディング」をすでに実用化していた「Harmony」というEVMチェーンに興味を持ち、パロアルト市のオフィスを訪ねました。シリコンバレーはどこか“秘密主義”なイメージがありましたが、Harmonyは驚くほどオープンで、私のような日本人に対しても、プロジェクトについて詳細を熱心に語ってくれました。
残念ながらHarmonyは現在、勢いを失ってしまいましたが、当時の彼らのオープンな姿勢に強く惹かれたことが、私がクリプトの世界に関わる原体験になっています。Harmonyのオフィス訪問をきっかけに、その後のデンバーでのカンファレンスも含め、クリプト関連のイベントを回るようになりました。
ちなみに、 初めてイーサリアムに触れたのは大学2年の頃で、スマートコントラクトのコードが、誰にも書き換えられず、かつグローバルに動作するという事実に衝撃を受けたのを覚えています。
「信頼のインフラをコードで代替できる」という概念に、思想的にも技術的にも惹かれ、以後はブロックチェーン領域にのめり込んでいきましたね。個人でもオープンスースを通じてグローバルスケールの制度設計に貢献できるという可能性が、自分の人生の軸になったと感じています。
開発者視点で感じたWeb3の課題から“チェーン抽象化”のブレイクスルーを見出す
── クリプト起業から、どういう流れでLight開発につながったのでしょうか?
一番最初のアプローチは、Web3ソーシャルの文脈で同じウォレットアドレスを持っているユーザーでも、所属するDAOや投票履歴、保有するNFTといった情報が断片化していることに着目し、共通の知人の持つNFTや参加DAOを可視化するサービスがあれば面白いのではないかと考えました。いわば、「Web3版のFacebook」のようなコンセプト先行でプロダクトを出しましたが、明確な市場ニーズを全く捉えきれていませんでした。
そこで、次に開発したのがモバイルウォレットの「Light Wallet」です。Safariのモバイル拡張機能を活用してSafariブラウザ内でウォレット機能が使えるプロダクトをローンチしたところ、数週間で約100万ドルの取引ボリュームを達成しました。
こうしたなか、開発者として複数のチェーンに関わっていくうちに、異なるネットワーク間の断絶やUXの複雑さに大きな問題意識を持ちました。「どのチェーンであるか」を意識させること自体が、Web3の大衆化を阻んでいると感じ、プロトコルレベルでの統合の必要性を確信しました。これが、複数チェーンを抽象化し、1つのAPIで操作できる「Light」の構想につながりました。
── Lightはどのようなプロダクトでしょうか?
Lightは、Ethereum、Polygon、Arbitrum、OptimismなどEVM互換チェーンを統合的に扱える開発者向けSDK・インフラです。開発者はチェーン固有の仕様を意識することなく、抽象化されたアカウントやトランザクションレイヤーを通じてシームレスなUXを構築できます。
約1年かけて開発したLightは、ローンチと同時に非常に大きな反響を呼びました。仲間や友達の支えもあり、Kaito.aiの週間ランキングでXの投稿がTop 0.007% (28位)を獲得したことで、米国業界の主要人からと繋がることができました。このようにバズった理由として、オープンソースを組み合わせて全てを開発したことと、「チェーンアブストラクション」という、当時ほとんど誰も取り組んでいなかった領域に特化していたことが要因に挙げられます。
── チェーンアブストラクションをやろうと思ったのは?
モバイルウォレットを開発していた当時、すでにさまざまなL2ソリューションが登場していました。ウォレット側からすると、「トークンの情報をどのように取得し、ユーザーに表示させるか」といった点が非常に複雑だったのです。
2024年前半はチェーンごとに情報が断片化しているのが課題だったと思います。さらに、それらチェーンを跨いで資産を移動させたいときは面倒なブリッジする必要があるなど、開発者としても課題感を抱いていたんですね。
Lightはこうした課題を解決し、ユーザーはガス代がなくても最初から複数のチェーンをシームレスに利用できる画期的な体験を提供したことが、大きな支持を得る結果に繋がりました。
どんな人と組むか、一緒に未来を作れるかが肝になる
── Sequenceへの売却が決まった背景や、そこに至るまでの苦労について教えてください。
2024年後半に、Sequenceのプロダクト責任者とのディスカッションを通じて「ブロックチェーンの断片化をどう解決するか」というビジョンが一致しました。数ヶ月にわたり戦略的な協議を重ね、互いの技術とチームの統合がより大きな価値を生むと判断し、2025年4月に正式に事業譲渡を行いました。単なる買収ではなく、「課題解決を加速するための仲間入り」だと捉えています。
Sequenceは、CoinbaseやPolygonなどから出資を受けている北米のインフラ企業で、グローバルな開発チームと透明性のあるカルチャーが特徴です。SlackやNotionを中心に、リモートでも密度の高い議論が行われており、合理性とスピード感を両立した開発環境です。プロダクトファーストで動けるこの環境は、自分にとって理想的な成長の場になっています。
売却に至るまでは、開発が難航しリリースが数ヶ月遅れたり、資金が尽きそうになるなど、多くの壁にぶつかりました。また、その頃のサンフランシスコはAIが全盛期で、クリプト市場の冷え込みは相当のものでした。
周りの起業家たちも次々とクリプトから撤退し、孤独感やプレッシャーに押しつぶされそうになったこともありました。それでも、米国日本人起業家の先駆者であるキヨさんや個人的なメンターである山田さん、そしてデザインを手掛けてくださったOz Hashimotoさんに支えられ、私に手を差し伸べてくれた仲間や投資家の存在が希望でした。サンフランシスコの地の中でも冬の時代を通じて耐え続けたクリプト愛に溢れる現地の仲間たちとの出会いは、今でもかけがえのない財産になっています。
「信じてくれる人が一人でもいれば、前に進める」
まさにこの言葉を実感した日々でした。
── アメリカで事業を進めるにあたって気を付けたことは何かありますか?
資金面だけにとらわれず、「どんな人と組むか」を最優先にしました。起業も売却も、結局は人と人との信頼関係が成功を左右します。契約や交渉も大事ですが、それ以上に「一緒に未来を作りたいと思えるか」が軸になりました。
あとはグローバルで戦うことを見据えてプロダクトを作る際は、日本とアメリカのスタートアップエコシステムの違いを根本的に抑えておく必要はあると思います。例えば、日本のスタートアップの約7割がIPOを目指すのに対し、アメリカでは約95%がM&Aを選択するというデータもあります。これは、人材と資金の流動性を最も重視するのがアメリカのカルチャーだからです。
例えば、最近ではJony Iveが80億ドル、 Windsurfが40億ドル、Scaleが190億ドルでAcquihire(人材獲得を主目的とした企業買収)されたのがここ数ヶ月の事例です。
アメリカのスタートアップでは皆共通して「世界を変える」という大義があり、そういった志のもとにエコシステムが形成されています。また失敗の許容度は高く、挑戦する土壌があります。それが故にサンフランシスコは世界中からワールドクラスの人材が集まり、催促のスピードで事業が進んでいきます。
アメリカでは企業がゲームのように身近にあり、かつそれがキャリアの選択肢として極めて有力なものであると思っています。
「信ずるところに道は開ける」。いつかはアメリカで再挑戦したい
── どうしてシリコンバレーで起業するという思いが強かったのでしょうか?
自分の手で世の中を動かしたいという気持ちが、自然と起業に向かわせました。シリコンバレーには、挑戦する人に対して「まず信じて任せてみよう」という文化が根付いており、何度失敗してもやり直せる環境があります。ブロックチェーンは、社会システムを根底から設計し直せる技術であり、民主化・透明性・分散という価値観に強く共感しています。
また、サンフランシスコのスタートアップエコシステムは、世界を変えるようなプロダクトを生み出すための進め方、人材の集め方、資金調達の方法など、成功のためのノウハウが完全に洗練され、受け継がれている点で日本の環境とは大きく異なります。例えば、AIコードエディタ「Cursor」のCEOはわずか23歳で、すでに1兆4,000億円のバリエーションがつくほどのプロダクトに成長しています。このような環境があるからこそ、自分もこの地に人生を賭したいと思っております。
── 現在Web3領域で注目している技術やプロジェクトはありますか?
Intent-based architecture(意図ベースの設計)、ERC-4337によるアカウントアブストラクション、Rollup-as-a-Serviceなど、UXとインフラの境界を再定義する技術に注目しています。自分自身がリードする「Sequence Anypay」でも、これらの技術を活用し、どのウォレット・どのdAppでも一瞬で決済や送金が完了する体験を構築中です。
また、この前1ヶ月くらいサンフランシスコに行った時に、ステーブルコインはクリプトネイティブ層以外の人からも話題に上がるなど、注目されている印象を受けました。最近でも、Stripeが買収したステーブルコイン決済インフラのBridge(ブリッジ)を活用すれば、あらゆる企業が独自にステーブルコインを発行できるようになり、利率が全て得られるなど、ステーブルコインのユースケースがさらに増えてくるかもしれません。
── 最後に今後の展望や目標をお聞かせください。
現在のWeb3は、まだまだ専門性が高く一般ユーザーには届いていません。今後5年で、チェーンの違いを意識せず使えるような抽象化が進み、「ブロックチェーンが裏にあるとは気づかないが便利なプロダクト」が増えていくと思います。その中で、インフラレイヤーの重要性はさらに増していくと考えています。
私が18歳の頃からずっと言い続けているフレーズに「銀河を真っ二つにする」というものがあります。どうせ一度きりの人生なら、スティーブ・ジョブズの「銀河系に風穴を開ける」という有名なフレーズをさらに超えたい。そうした思いや志が、今の自分の原動力になっています。
私がこの4〜5年間、アメリカで挑戦し続けることができたのは、投資家をはじめ、日本の起業家や投資家や多くの方々の支えがあったからこそでした。
特に、基本的には私一人でプロダクトを開発していたものの、その他の全局面でサポートしてくださった方々に大変お世話になりました。またSequenceへの事業譲渡を理解・承認していただいた投資家の方に対してもご支援いただき大変感謝しております。
この場を借りて、私に関わってくれた全ての方々に、心からの感謝の言葉を伝えたいです。
これからも「信ずるところに道は開ける」という言葉を胸に、全てをかけて挑戦していきます。
関連リンク
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公式サイト:https://shunkakinoki.com
取材/編集:大津賀新也(あたらしい経済 副編集長)
構成:古田島大介
写真:堅田ひとみ